Kanto Gakuin University Ori Akemi Seminar

Column織朱實が日々感じたことをつづっていきます。

ささやかだけれど役に立つこと (05.09.01)

7月5日の日記で、アーウィン・ショーの「夏服の女たち」絡みで、でるふぃさんがレイモンド・カーヴァーの「ささやかだけれど、役に立つこと」についてコメントをくださいました。で、いつか、この話の別バージョンがあることを日記で書きたいと思っていたのですが、雑務に追われてのびのびでした(苦笑)。ようやく一つ仕事が終わったので、書くことができます♪ってことで、いきま~す(笑。いや、仕事はまだまだてんこ盛りですが)。

レイモンド・カーヴァーの「ささやかだけれど、役に立つこと」は短編集「大聖堂(Cathedral)」に入っているお話で、村上春樹の名訳とあいまって、日本ではとても人気のある短編です。
子供の誕生日のために誕生ケーキをパン屋に注文しに行くお母さん。ところが、子供は、その日事故にあって、昏々と病院で眠り続ける。いつまでも起きない息子を見守る夫婦。「一度、家に帰って風呂にはいっておいで」と夫に言われて、妻が帰宅すると、「スコッティのことだよ。もう忘れたのか?」という理不尽な電話が鳴り続ける。息子はそのまま目覚めず、帰宅した夫婦に追い打ちをかける不気味な電話音。動揺した妻は、それがパン屋からの電話だと気が付き、パン屋に飛び込んでいく。涙ながらになじる夫婦にパン屋は、心からの謝罪を述べ、焼きたてのスィートロールを勧める。無言で、いくつもいくつもパンを食べ続ける夫婦。パン屋がここで語る台詞が、この本のタイトルになっています。

「こんなときには、ものを食べることです。それはささやかなことですが、助けになります」

誰の人生においても、理不尽な不幸が急にまぎれこんてくることはある。そんなときでも、いや、そんなときだからこそ、ほんのささやかな日常的な行為を行うことが、救いになる。このささやかな真実に、気がつかせてくれるからこそ、この短編を愛する人はとても多いのでしょう。ところで、この短編のさらに、短いバージョンが「浴室(The Bath)」です。原書では僅か10頁足らず。パン屋でケーキを注文するシーン、事故に遭うシーン、病院で黒人家族と語らうシーン、自宅に帰ってシャワーをあびるシーンと、ここまでは同じ。ところが、「浴室」の方は、電話がかかってきて「スコッテイだよ。スコッテイのことだよ」という声が流れてくるところで、ばっさり切れてしまうのです。こちらには、救いが全くなく、理不尽な恐怖だけが残ります。息子が死んでしまったのか、目が覚めるのかもこの話だけでは、分からないのです。

どちらの作品も随分前に読んだきりなので、原書か翻訳本が読みたいと思って、すぐに本屋にいったのですが、何件も本屋を回っても見つかりませんでいた。数年前の村上春樹ブームの頃は、平積みされていた記憶があるのだけれど..?ということで、早速、私の職場の隣の若き英文学研究者にお伺いを~(毎度のことですが。苦笑)。

「レイモンド・カーヴァーの『ささやかだけれど~』が入っている短編集貸してくださいな♪本屋さんになくて。フィッツジェラルド本は、たくさんあったんだけどね。」
「海外小説は、巨匠の域に達しないと本屋さんに常時置いてもらえないんですよ。そのランクの作者の作品だと、売れなくても必ず1冊はおくようにしてあるんですけどね。ゴーリキとか。まあ、出版社の良心って感じかな?フィッツジェラルドなんかは、もう巨匠レベルに入っているんですね。レイモンド・カーヴァーも、あと数年たてばその仲間入りすると思うけど、今はまだ難しいんでしょうね。」
「原書のペーパーバックも、ないですよね?」
「海外小説のぺーパーバックは、なかなかみつからないですね。紀伊国屋が一番品揃えがいいですけど。小説は難しいですね。講談社インターナショナルの英語文庫なら、AMAZONでも購入できますよ。」
あと、受験用の和訳もついている文庫シリーズとかもあるそうです。
「村上春樹が、レイモンド・カーヴァーを翻訳したというのは分かりますよ。この二人は、文章をシンプルにする、という新しい文体で共通していると言われているんですよ」

なるほど!レイモンド・カーヴァーの文章は、確かにすっごくシンプルで素直な英語です。なので、高校生の英語力があれば、十分に原書を読めると思います。シンプルなのですが、とても力強い英語です。とにかく、頁も短いので(すっごく活字が大きいのに10頁!)、分からない単語がでてきても、気にしないで読み切ってしまえば、翻訳とは違う読後感を味わえると思います。他の作者の作品はともかく、レイモンド・カーヴァーだけは、是非「英語で読むなんて!とんでもない!」と毛嫌いしないで、原書を読んでもらいたいです(難しい単語も出てきませんし。私も、読んでいて分からない単語は、やたらでてくる”coma”だけでした。多分、「脳しんとう」かな?と思っていたら「昏睡」でした。まあ、一つ二つ分からなくても、10頁なので問題ありません。笑)。

というのは、「浴室」にしても「ささやかだけれど~」にしても、あらすじだけ読むと、甘いハートウォーミングな短編のイメージがあるのですが、実際の文章は平易なのだけれど削り落とされた緊迫した救いのない暗さが後ろにあるのです。特に、「浴室」は、ものすごい緊迫感のある文章で、平穏な日常生活に紛れ込んでくる不条理。急に息子を事故で昏睡状態に陥った夫婦のパニック。それに追い打ちをかける謎の電話が「スコットのことを忘れたのか?」と迫ってくるこの恐怖。まるで、甘さなどありません。一方、「ささやかだけれど~」は「浴室」よりも救いはあるのだけれど、ここでも人生から外れてしまったパン屋の人生が見え隠れして、かなりずどん!ときます。作品全体の雰囲気は、夫婦の哀しみよりもパン屋のいわれなく人生のレールを外してしまった哀しみが作り出しているともいえるでしょう。だからこそ、このパン屋が夫婦にどんどんパンを差し出すシーンが響くのですけれど。
「浴室」の緊迫感、怖さは、あの村上春樹の翻訳でも、原書を読んだインパクトを超えることができないですね。一方、「ささやかだけれど~」は、村上春樹の名訳によって、独自の世界が展開されていて、原書のどす黒さ、理不尽さが救済のイメージで失われてしまっているように感じます。多分、村上春樹版のほうが、私たちの感性には響くと思うのですが、私には「浴室」の人生の不条理さのインパクトや「ささやかな~」の中にある理不尽さも捨てがたいですね。ところで、作品としては、「ささやかだけれど~」の方が長文で完成されているようにも思うのですが、「浴室」の方が後の作品というのも面白いですね(もっとも、レイモンド・カーヴァー自身は「ささやかだけれど~」が完成版であると、主張していたそうですが)。

原書を読むと、シンプルだけと力強い文章、しっかりとした構成、ゆるがないスタイル、本当にレイモンド・カーヴァーは上手い作家だな、と改めて感じられます。そして、英語が得意でなくても原書を読む醍醐味は、ただ、上手いだけでなくどの作品も、ある種の「重さ」「人生のつらさ」が背後にあるのが感じられるところでしょうね。これは、多分彼自身が成功した作家の道を歩み続けたわけではなく、二人の子供を育てるために短編作家にならざるを得なくなり、「創作の『炎』を消してしまった」経験があるからなのでしょう(エッセイ「ファイアーズ」はこの苦悩を書いています)。「ささやかだけれど~」のパン屋も、どういう経緯か詳細は語られていないけれど、人生の道がどこか狂ってしまい、独身のまま来る日も来る日も、人のお祝いのケーキを焼き続ける。巨漢のパン屋の黙々と働く姿は、やはり巨漢だったレイモンド・カーヴァー自身の姿と重なります。このパン屋がそれでも、花屋でなく、パン屋で良かった。「花を売るよりは、人に自分の作ったものを食べてもらう方がいい。匂いだって、花よりは食べ物の方がいい」。と言うところが、また泣けてくるのですが。ということで、「ささやかだけれど~」とあわせて「浴室」(こちらは短編集「僕が電話をかけている場所」に入っています)も是非読んでください(そしてできれば原書にも挑戦していただけるとなお!)。

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